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あれから1年

 2012-03-11
東日本大震災から1年ですね・・

この一年が早かったような長かったような・・・
まさかあの日あの震災が起こるまで誰もあんなすごい地震に見舞われると
予想ももできなかったことでしょうね

いつかは大震災があるとは言われていても、所詮現実味はなかったし
その怖さも恐ろしさも、いろいろな意味での大変さも知らなかった

あの日は、福島県の須賀川市で診察中だった
あと何分後かに、職員を集めて話をするから集まるように指示していたっけ

一斉にあちこちから携帯からアラームのような音が鳴りだしてきて
“こら!マナーモードにしておけよ!”って注意した瞬間に揺れ始めた

今思えば、みんなマナーモードにしてあった
それなのになったあの音は、もう今では忘れもしない地震速報の音だった

患者さんには椅子に座って動かないように指示して、棚を抑えた頃には
揺れは大きくなって、そこからは立っているのが精いっぱいで何もできなかった

長かった・・・
いろいろなものが落ちてくるし、停電するし、当然エアコンも停まってしまった
建物は歪み、電線は切れて、駐車場まで波を打っていた

揺れが小さくなるのを待って、患者さんや介護リハビリの患者さんを1階に集め
スタッフとその後の行動について相談した
各スタッフが銘々に考え独自な判断で的確に行動してくれて助かった

情報が全くない状態でどうしたものか・・・
看護師さんがラジオを持ってきてくれて、それが唯一の情報源だったが
聞えてくる情報は、あまりにも唖然とする状況ばかりでみんなで愕然とした

患者さんや利用者さんをすべて返した後、スタッフが戻ってくるのを待って
次の日の指示をだし、そして帰路に就いた
とはいえ、乗るはずの新幹線は止まっているし、帰るどころではなかったが

スタッフの頑張りもあって次の日も何とかできる限りの診療はできたが
介護リハビリは様子を見るしかなかった

食べ物も水もガソリンもない状況、いろいろな人のおすそ分けで助けられた
診療所と宿舎はとりあえず、電気だけは復旧したが、通常業務に戻るには
程遠い現状があった

仕事しているうちは笑顔で元気に患者さんを励ましているものの
宿舎に帰ってご飯を食べた後は、震災や津波の惨状が流れてくるTV番組を
お酒を飲みながら、ただ見つめていた
飲まなきゃ観ていられなかった!というのが本音かもしれない

郡山周辺は浜通り(海沿い)に比べたら被害は少なかったが、
それでも今でもあの大震災の爪痕は大きく残っている、人々の心の中にも
それに放射能汚染のおまけつきときてるから心が沈む

本当の意味で過去の記憶!って言える時期ははたしてどのくらいで
訪れてくれるのだろうか
そういう時期が一日も早く来ることを祈って

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コメント
当日 私は駅前のビル5階にいました。
立っていられず ドアに両手をかけてゆっさゆっさ揺られていたのを覚えています。
数か月前でしたか・・NZで大きな地震があって日本人の専門学校生徒さんが犠牲になりましたよね。こんなだったんだろうかと思ったことを覚えています。
冷静に聞こえるかもしれませんが 要するに状況を把握できていなかったんです。まさかこんなに大きな災害なんて・・想像を超えていました。

郡山市内はさら地が増えてきましたね。被害を受けて立ち入り禁止だった建物に足場が組まれている光景も見かけるようになりました。1年たってやっと、です。
やっとでも一歩には変わりない。そう思いたいです。
【2012/03/12 21:55】 | findafar #- | [edit]
ホントですよね・・・
【2012/03/14 07:46】 | ドクター石原 #- | [edit]












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